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 ハイランド中央砦。そこはその名の通り、ハイランドの戦線を維持するため人類軍を統括する機能を持った拠点である。人類軍は様々な国家の戦力が寄り集まって結成されているが全軍に対する指揮権はどこにも帰属しておらず、全ての作戦行動は各国の代表者との合議制で決定される。そのため普段は持ち場となる戦線を各々の裁量で維持し、何かしらの作戦行動を取る場合はまずこの中央砦に代表者が集まって決める。全軍指揮権が存在しないのは国家間の上下関係を作る事で禍根を残さないためと言われているが、実際のところは作戦行動による他国の損害について責任を持ちたくないための合議制であった。
 勅書を持ったエクス一行は、特別な手続きもなく中央砦に入る事が出来た。かつて魔王討伐を果たした時もエクスは中央砦に入った事が無く、噂に聞いた人類軍の中心である拠点を物珍しそうに眺めている。だが他の三人は息の詰まるような緊張感でとてもそんな余裕は無かった。エクスは気付いていないようだが明らかに自分達は歓迎されておらず、向けられる視線という視線がいずれも冷ややかなものだったからだ。
「うーん、色々な国の軍属の方がいるなあ! ああ、中央砦に入れるなんて本当に名誉な事だよ! 俺は末端の義勇兵でしかなかったからね」
 いつも以上に輝くような満面の笑みを浮かべ、エクスは砦内を歩く。自由に調査する事が認められているが、案内も付けられないのは歓迎されていない事と関わりを持ちたくない事の両方の理由からだろう。そして中央砦には会議以外の機能はほとんど無く、どこをどう見られようが彼らにとって関係がないのだ。そんな状況に気付いていないエクスに、何か余計な言動を取らないかと三人はとても気が気ではなかった。
 中央砦に詰めているのは各国の佐官以上ばかりで、主戦力である末端の兵士の姿はほとんどいない。彼らはエクスの存在について世間一般のそれとは違う思いを抱いている。それは、世間はエクスこそが人類を勝利に導いた功労者のように持て囃すが、今もなお無くならない魔族軍の脅威に対して戦い続けているのは自分ら軍人であるという強い自負があるからだ。そこへ更に、自分達の恥でもある脱走者の問題をエクスに調査をされる事になったのだから、口には出さないものの不満は大きいだろう。
「エクス、そんな事よりも早く調査をしてしまおう。迷惑になるから、あまり長居はしない方がいい」
「おっと、そうだったね。じゃあ片っ端から聞き込みをしてみようか」
 ドロラータに言われようやく調査を始めるエクス。だが、やはり興味は未だ砦内の構造に向いていた。
 中央砦は、かつて存在していたハイランド城の一部を再利用し、機能を補強する形で形成されている。ハイランド城は世界でも珍しく、首都は丸ごと城壁に囲まれた要塞都市だった。外部からの侵攻にも強く、戦時にも物資の流通ルートを確保出来るよう様々な工夫がなされている。そんなハイランド城も魔族軍の侵攻により城壁の半分近くが崩され、城もほとんどが彼らの魔力兵器により壊滅してしまった。中央砦はその内の城の残った部分と繋がる城壁を補修して砦の体裁にしている。そういった経緯から、壁も後から補修した部分は建材が異なるため非常に目立っている。内装も所々に城の名残があり、豪奢なステンドグラスや宗教画など砦らしからぬものになっている。
 会議以外に人が集まる事が無いため、砦内を歩いていてもあまり人影を見掛ける事は無かった。視線だけはそこかしこから感じるのは、エクスを知っていても接触を避けているからだろう。人類軍の中心になるはずの砦がこうも人気が無いと、本当は戦況が厳しいのかなどと要らぬ想像をしてしまいそうになる。
「お? そこの方、すみません!」
 ふと歩いていた廊下の反対側から二人組の軍人が歩いてくるのが見えた。確認するやエクスはすぐさま二人に声をかけながら駆け寄る。三人もすぐ後に続くのだが、既にその二人がエクスに対して渋い表情を浮かべているのに気付いてしまった。
「自分はエクスと申します。この度アリスタン王朝より勅命を戴きまして、脱走兵について調査をしております。その事でお二人にお話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」
 二人は渋い表情のまま顔を見合わせるものの協力しない訳にはいかず、まずは簡潔に了承の返答をする。
「我々の所属は北東部の第二十砦だが、そこでも最近脱走兵は出た。人数は八人と聞いている。それも一晩にだ」
「行方の捜索はされているのですか?」
「そこまで人員に余裕が無い。どの道、このハイランドで脱走などした所で生き延びる事は難しい。野垂れ死ぬか、魔族の哨戒に見つかって殺されるか。捜索自体にあまり意味が無い」
「では、脱走の動機はご存知ないでしょうか? 脱走した所で助からないのは皆さん周知の事実なんですよね」
「さてな。嫌気がさして逃げ出す者は別に珍しくない。ハイランドは人類防衛の最前線だ。長い戦いで心が磨り減った所でおかしくもないだろう」
 表情の割に質問にはきちんと答えてくれるのは、私情と任務を切り離す事が常の軍属だからだろうか。脱走兵の件について包み隠さず答えてはくれているようだったが、脱走の事実そのものはあまり深刻に捉えてはいない様子だった。脱走兵には何かしら軽蔑のような心情はあるが、脱走したことによる兵力的な影響は無いのだろうか。
「もう宜しいかな。そろそろ持ち場に戻らなくてはならないので」
「はい、ご協力ありがとうございました」
 足早にその場から去っていく二人を、エクスは律儀に笑顔で見送っている。それを余所に三人は早速今の証言について整理を始める。
「今の二人に限って言えば、思ったより脱走の事は深刻に思ってないみたいね。それなのになんでわざわざ勅命が来たの?」
「そもそも、普通脱走兵が立て続いたら兵力にも影響が出そうなんだけど。なんかあの二人、脱走兵に大して嫌味を言う余裕があったよね。対魔族軍の方は大丈夫なんだろうか」
「もっと他の国の軍属の方にも聞いた方が良さそうですね。全体でどれだけ脱走兵の問題を深刻に捉えているか知っておきたい所です」
 アリスタン王朝はわざわざ勅命で、軍属ではないエクスに調査を依頼した。だが今の軍人の二人は、そうとは思えないほど脱走兵の問題を深刻には捉えていない。この温度差は何なのだろうか。兎にも角にも、今は脱走兵についての情報を少しでも多く集めたい所だ。