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 日が暮れても雨は一向に止む気配が無かった。雨で濡れた服も乾き体もすっかり温まりはしたが、雨の降った夜に出るほど急いでいる訳でも無く、今日はこのままこの小屋に泊まる事にした。
 保存食と暖炉の火を使って簡単な食事を取り就寝する。ドロラータ達はそれぞれソファや暖炉の傍で毛布にくるまって寝るのだが、エクスはわざわざ隙間風も入ってくるであろう出入り口の脇に座った。女性達を不安にさせないための配慮かと思ったが、エクスは単なる外敵からの用心のためだと答えた。恐らく本当にそのつもりだろうが、普通は女性を意識する状況だろうとドロラータは内心呆れる。エクスを誘惑し魔導同盟に連れて来なければいけない自らの使命だが、こうも女性に興味を示さない朴念仁ぶりではなかなかに難問だと思わされる。
 四人はそのまま会話も無く自然と眠りに入り、小屋の中には微かな寝息と薪の燃える音と外の雨音だけが聞こえる。穏やかに夜も更けていった。だが、
「むぅ!?」
 皆が完全に寝静まった中、突然とエクスは何の前触れも無くけたたましく飛び起きる。その音に三人も目を覚ました。
「なーに、エクスー。どうかした?」
「今何か音が聞こえた……」
「音って、別に何も聞こえなかったけど」
 確かに三人とも特に気になるような音は聞いていなかったが、エクスはそもそも聴力も凡人とは比べ物にならない。そのため、聞いた聞こえたの話題を共有する事が出来ない時があった。
「ん……まだ聞こえる。っと、間違いない! 人の声だ!」
「え、人の声って、まさか」
「君達はここで待っていてくれ!」
 そう言うや、エクスは剣を掴み雨具を被りながら小屋の外へと飛び出していった。
「ちょ、ちょっとエクス!? ああ、もう行っちゃった」
「ど、どうしましょう? 後を追いますか?」
「それしか無いでしょ。あたしらの立場的にも放っておけないし」
 三人も乾かしたばかりの雨具をつけ、エクスの後を追い小屋を飛び出す。雨足は昼間よりも強まり、風も少し吹いていた。気温も下がっており、あまり長くは出ていたくない状況である。
「って、エクスがどこに行ったか分からないじゃない!」
「ああ、大丈夫。ちゃんと追えるようにしてるから」
 ドロラータは人差し指で小さく空中をなぞり魔力を込める。するとぼんやりと光る帯状の雲が現れた。
「これ、エクスに予めつけといたマーキングに続いてるから。これ辿ってくよ」
「アンタいつの間に……」
「魔導士は抜け目ないものよ。ああ、二人にも当然マーキングしてるから、いつか役に立つことがあるかもね」
 三人は光の帯を追い始めた。雨風も強く、夜のため視界もままならない。光の帯とドロラータの作る魔力の光とでどうにか早足で追うくらいの事は出来たが、一向にエクスの姿は見つからなかった。この暗闇の中を明かりも無しに駆け抜けていったのは、流石は勇者だと感嘆するしかない。
 しばらく後を追って行くと、レスティンが声をあげた。
「ねえ、なんか近くで水の音がしない? これ、もしかして川?」
 そう言われ耳をすますと、確かに川の水が流れる音がどこからか聞こえて来た。確か街道沿いに川が流れていたが、あの休憩小屋のすぐ傍にも流れていたはず。それがどうして今になって聞こえてくるようになったのか。
「暗くて良く分からないけど、もしかすると川の流れてる近くに下って来てるのかも。小屋からずっと緩い下りだったし」
「風の音より水のうねりの方が聞こえる距離という事でしょう」
 光の帯はまだ先に伸びている。エクスも川の方へ下っていったという事なのだろうが、一体何が起こっているのか。
 更に足を早め光の帯を辿る三人。やがて街道から外れ川辺沿いにまで降りてくると、その先からエクスの声が聞こえ始めた。エクスは何かに呼び掛けているようだった。三人はすぐさま急ぎ声のする先へ駆けつける。するとそこでエクスは川の方へ呼び掛けていた。
「君達も来たのか! ここは危ないぞ! 川がかなり増水している!」
「だからでしょ。とにかく、どんな状況?」
「ああ、あの辺りなんだか。人が一人、溺れかけている」
 エクスが指差す先、丁度川の中央にある石の縁に一人の青年が必死でしがみついているのが見えた。この悪天候の中、夜道を強行したのだろうか。エクスに気付いて貰えたのは不幸中の幸いと言える。
「少し上流の方の吊り橋が切れたんだろう。たまたま川が増水していたので落ちても怪我はなかったが、ここまで流されてしまったようだ」
 しかしこの寒さと川の急な流れでは、彼が力尽きて流されるのも時間の問題である。早急に救助しなくてはいけない。
 幾ら何でもこの川に飛び込むのは無謀である。こちらから泳いで救助に行くことは出来ない。となると、やはりここは自分の出番となるだろうが。
「あたし、魔法で近くまで歩いていけるよ。例の少し浮かぶ魔法」
「おお、なるほど! それから引っ張り上げればいいんだな!」
「流石にそんな腕力はないかな。何か長いロープでも持たせて、川岸から引っ張り上げよう」
 しかしこんな所に都合良くロープなどあるだろうか。そう思い辺りを見回すと、
「ねえ! こんなのあったよ! 何か使えない!?」
 レスティンがどこからか濡れたロープの拾って持って来た。見たところ吊り橋の一部がたまたまここに流れ着いて来たようだった。
「ですが、これでは長さが足りないのでは?」
「これくらいなら大丈夫」
 そう言ってドロラータはレスティンが拾って来たロープを手に取り魔力を込め、小さな掛け声と共にロープを左右へと引っ張る。するとロープは見る見るうちに長く伸びていった。
「え? 何その魔法」
「そのまんま。ロープが貴重だった時代の、ロープを長くする古典魔法。ロープにしか効かないんだけど、案外役に立つものね」
 ロープは青年の救助には十分過ぎる長さを確保出来た。後は片側をエクスが押さえておき、ドロラータが青年へ魔法でロープを渡しに行けば良い。
 救助手段の目処が立った。そう思った直後、シェリッサが川を指差し声を上げる。
「いけません! あの方がもう!」
 青年は既に疲労も限界なのか、腕の力で石にしがみつき続けられず体が半分離れかけていた。
 まずい、自分が向かうまで間に合うのか? そもそも、ロープを渡しても掴めるのか?
 脳裏を過った疑問がドロラータをその場に逡巡させる。もう手遅れの状況で、これ以上の救出行動はこちらを一方的に危険にするだけではないのか。
 成果が見込めないのでは。この推測がドロラータを躊躇わせる。だが、
「エクス!?」
 エクスはドロラータの手からロープを取り上げると、剣を抜いて柄と鍔の部分に素早くロープを固く結ぶ。そして剣を構えたまま川へ向かって走り出すと、ロープを結んだ剣を力いっぱい投げ込んだ。
 剣は青年がしがみついている石に、刀身の半分ほどまで突き刺さった。同時に青年がついに力尽き石から手を離す。
「うおおお! まだだー!」
 エクスはすかさずロープを掴んだまま、激しくうねる川の中へ自ら飛び込んでいった。