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 レスティンの言葉がよほどショックだったのだろうか。父親は驚きと悲しみの入り混じった表情を浮かべ、その場にしばし硬直する。涙こそ流れないものの、瞬きも忘れて見開かれ続ける両目の縁は少しずつ充血を始めていった。
 感情的になって吐き出した自分の言葉が深く傷付けたのか。そう後悔するレスティン立ったが、やがて父親はそっと視線を落とすと突然深く長い溜め息を一つついた。
「そうか、良く分かったよ。どうやらパパには、レスティンを説得する事は出来ないようだね。父親としての力不足だ」
 口調こそ普段通りではあるが、語気も声色もまるで別人のように張り詰めていた。静かで深い怒りが秘められているとレスティンには感じた。
「このまま言い合った所で、お互い平行線だ。それじゃあ、レスティンが一番納得する方法で決めようじゃないか。―――来なさい」
 父親は踵を返して部屋を出る。咄嗟にレスティンもその後を無言のまま追っていく。父親は一階まで降りていくと、そのまま奥のホールへ向かった。そこでレスティンは父親の意図する所が読めてしまった。
 ホールは通常パーティなどのイベントのために使われるのだが、この別宅自体がレスティンの反省房としての役割であるため、テーブルや長椅子のような家具類は一切置かれていない。ただ何もなく広い空間があるだけである。そしてここを使うのは、昔から理由は一つしかない。
「ここを使うのは何年ぶりかな。もう必要はないくらい大人になったものだと思っていたんだけれど」
 父親は壁の燭台へ明かりを次々と灯していく。全ての明かりが灯るとホールの中は明るくはなったが、今度は父親のいつになく険しい表情までが良く見えるようになった。
「今までは稽古もかねて加減していたけれど、今日ばかりはそうもいかないからね。一切手加減のない真剣勝負だ。パパはレスティンの我がままを根元からへし折らなきゃいけないからね」
 父親は壁にかけていた木剣を二つ手に取り、一つをレスティンの方へ投げてよこす。木剣を手にすると、レスティンの脳裏には昔の幼稚で我がままだった頃の自分の記憶が蘇って来た。
 父親は元々は傭兵ギルドの一員だった。様々な武器や兵法を使いこなすが、中でも剣術は最も得意とする所で、ほとんどが戦場で習得した自己流のものであるが実際に強かった。レスティンの剣術はこの父親に教え込まれたものである。
 木剣を使った稽古は子供の頃から繰り返して来た。その中で、どうしても自分の我がままを通したい時の条件として、父親から一本を取る勝負というものがあった。成否はまちまちだった。今思えば、妥協出来る時ならわざと手を抜いていたのだろう。一本を取る事が方便になっているのだ。
 無茶な要求をした時は決して勝てなかった。そして、決まって父親は言う。正しい心の持ち主は絶対に負けない、レスティンが負けたのは邪な気持ちがあったからだ、と。良くない要求をすると必ず負かされるのは、それこそが邪な気持ちなのだと教えるためだったのだろう。
「最後に仕合ったのはいつだったかな。もう随分昔のように思えるね」
「二年前だよ。ワタシが、北西戦線にパパの名代で行かせてくれるかどうかを決める時」
「ああ、そうだったね。あの時はパパが負けたんだった」
 言うまでもなく、わざと勝たせて貰った試合だ。単に任せられる程度の実力があるかどうかを計られただけの試合である。そう、あの頃はまだ父親との実力差はそれほどあったのだ。
「今回は一本とは言わないよ。参ったと言わせるまでが勝負だ」
 父親は肩の力をすっと抜くと、木剣を無造作に中段に構える。ただそれだけの仕草だが、恐ろしく隙が無く威圧感だけが強く増していくのが分かった。間違い無く本気で来るつもりだ。そうレスティンは確信する。自分をエクスに関わらせないために、足の一本は平気で折りに来るぐらいのつもりでいるだろう。
 あんな傷付いた父親の表情を見た後で、自分の邪魔が出来ないほどに痛めつけるような事が、果たして自分には出来るのだろうか。いや、やらなければいけないのだ。失敗は絶対に許されないのである。ドロラータやシェリッサのためにも、ここは死守せねばならないのだ。
「じゃあ、始めるから」
 レスティンも木剣を構える。全力で挑む以上、最も慣れ親しんだ型に自然と体が動くままに任せる。するとレスティンの取った構えは父親と全く一緒のものだった。