Lazy Bear

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僕達は数に支配されている

今の時代、数字を伴わない情報は限りなく無に等しい。

人気の新商品も、売れ方よりもまずは幾ら売れたかが取り沙汰される。
スポーツの結果も、大勝大敗と書くより具体的な点差を書いた方が内容が分かりやすい。
中国共産党が日本へ圧力を強める時は自分達がどれだけ殺されたかの数を水増して報じる。
村上ファンドのインサイダー容疑にしても、罪状だけでは大した興味を引かれないのに具体的に幾ら儲けたか聞くと「まったくけしからん」と語気を強める。

人は何故、数字を使うのか。それは、物事を具体的に把握するのに数字が一番想像しやすいから。数字をみんな信仰し、数字にこう出てると言われればぐうの音も出ない。それが故、「自分は数字しか信じない」とリアリストを気取る人に限って、嘘の数字を信じ込みやすかったりする。

数字も怪談のように、初めは「こうあるかもではないのか?」という希望から生まれ、「こうなんだって?」「こうなんだ?」「こうだってよ」「こう言ってた」「だからこうに違いない」と、人から人へ伝わっていくに連れて、妙な信憑性を帯びていく。誰もその数字の出所も根拠もしらず、ただ何故か各個たる信頼性を持って正しい情報であるという肩書きを持っている。

おおむね、噂とか情報とはそういうもの。伝聞を繰り返す内に「こうであったらいいのに」という希望が付加されていき、最後には真実から大きく外れてしまう。
だから預言者や霊能者の予言は、ある意味正しい。人が「こうあって欲しい!」という事実さえ言い当てる事が出来れば、それはその人の中で真実と置き換わってしまうからだ。
人間の思考は非常に自分拠りだ。自分に都合のいい結果は、全て都合よく理由付けしてしまう。だから根拠の無い推論、数字でも、病的に有り難いと思うのだ。

で、ここまで長々と前置いて、何が言いたいかと言うとだ。

  ( ゚д゚)  さて、冬の賞与の支給額でも確認してみるか
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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    ̄ ̄ ̄ ̄

  ( ゚д゚ )  ……
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
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僕を数字で縛る会社には屈しない! でも、久々にガチで会社辞めたいと思った。
どれだけ頑張って仕事しても売上額でしか評価がされない。

仕事頑張ると沢山の仕事を回される>残業が増える>人件費増加により売り上げ低下>評価低下

ワーキングプアっていうやつ? いや、それ以前の問題だ。仕事しない方が評価上がるってのはおかしいよ。売上だって単価もあるのだから、僕一人の責任ではないはずだ、と思う。
そもそも年に数回しか顔もあわせない上役にこういう評価受けると正直萎える。

でも最後にはさ、「僕は頑張ったんだよ! どうして認めてくれないんだ!?」って駄々をこねているようにしか自分が見えないんだよね……。

あー久々に長文で愚痴ったわ。一時の感情で書いたけど、今はもう少し前向きになれてます。もっと頑張って自分を磨けば、いつか評価が上がるかもしれない。そう思いつつ今夜は就寝。明日からも無理なスケジュールねじ込まれてるので。

ちなみに、今回の前文はとある漫画のネタです。知っている人は知っているかもしれない……!

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